きれいな模様の博多塀(はかたべい)とは?
櫛田神社にある博多べい。調べてみると戦国期に焼け野原となった博多を1587年(天正15年)に、九州平定を遂げた豊臣秀吉が復興させるためにおこなった「太閤町割り」の際にうまれた土塀。大河ドラマで取り上げられた黒田官兵衛も、石田三成らとともに博多の復興に尽力したと言われています。
今でいうリサイクルを兼ねて、いかに早く復興するのかを考えて採用されたのだろうか。
天正十五年(西歴一五八七年)豊臣秀吉の太閤の博多町割り(戦災復興都市計画)によって、たくましくよみがえった市街には「博多べい」と呼ぶ土べいが長く連なった。郷土再興の悲願をそのままに焼け石 焼け瓦が厚く塗り込められ、当時、重なる戦禍の焦土から奮起した根性と心意気を示して余りがある。このたび、博多三商傑の一人、島井宗室の屋敷跡 三百八十余年の風雪に耐えた、最後の「博多べい」が四散の危機に直面するに当たって、広く志を集め、ここに移築再建した。伹し右方は断面を表す(石碑横の
■櫛田神社
福岡市博多区上川端町1-41
地下鉄「中洲川端駅」 「祇園駅」から徒歩5分
コロナの影響で外出自粛なので、撮り溜めた写真をアップ